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2017年07月24日

「参考書コピー型講義」論2

 ちょっと土日が多忙でしたので、めずらしく月曜日に更新します✨

 「参考書を読み上げているだけ(と批評者の脳が認識している)の講義」は、具体的に何が悪いのでしょうか?それとも何も悪くないのでしょうか?
 いくつかの切り口から論じてみます。

(1)教科書範囲外の、より発展的な内容が乏しい!?
 「もっと、生徒の興味をそそるような、教科書に載っていないような最先端の話をしてくれ」という意図で批判をしているのなら、彼本人としては殊勝な話です。
 しかし、それは、この世界を自分中心に考えすぎてやいませんか
 この世界は、個人の所有物ではないのですよ。教科書は、なぜ教科書であるかというと、「一般的にこれくらいの範囲を身につけてもらえれば、その年齢の実力としては十分でしょう」と考えられる範囲を設定しているから教科書なのです。
 人の能力や実力は正規分布をしています。その正規分布の真ん中90%にとって適切と考えらる学習範囲が、「教科書の範囲」なのです。

 もっともマニアックな話をして欲しいという希望は、偉いことは偉いのですが、それをやってしまうことで、むしろ「(理解力を超えてしまい)ついてこれなくなる」生徒が大量に発生するわけです。
 「もっと教科書外の話をして」などという要求をする生徒の数より、「そういうのいいから、もっと試験に出る大切なところだけを話してください」という要求をする「凡庸な」生徒のほうが遥かに多いんですよ。
 スタンダートな学習においては、「変化球の投げ方のマニアックなコツ」ではなく、「学問的な体幹の強さを会得すること」こそ、最も重要で本質的なことです。その場合、過剰な「教科書外」の話は必要ないという判断に自然と至ります。ましてや、「無料Web講義」となれば、優先的に求められていることは、なおさらそれであることは自明の理です。
 「もっとハイレベルな話をしろ」と思ったあなたは、あくまで少数派です。小数派が「世界のほうこそ自分に合わせるべきだ」と要求するのは、無理筋というものです。自分だけ特別扱いしてもらいたいのなら、それ相応のコストを払う必要があるでしょう。

(2)パフォーマンスが足りない!?
 「生徒を魅了するような」演技的なパフォーマンスや、「腹を抱えて笑うような雑談」をもっとしろ・・・という批評者がいるかもしれません。
 これにもいろいろな勘違いが含まれています。
 
 まず、パフォーマンスが嫌いな生徒達もたくさんいるんですよ。たまたま自分のツボにはまったからといって、全世界の視聴者にそれを強要するというのは、上記と同じ理由でおこがましい発想です。
 「パフォーマンスがない」ことは、正規分布の真ん中を対象にできますが、特定の癖のあるパフォーマンスをする場合、一部のファンはつく一方で、それを嫌がるユーザーのほうがしばしば多いわけです。
 実際、黎明期のWeb学習動画サービスにおいてユーザー行動を解析したところ、雑談などの非本質的なパフォーマンス部分は早送りで飛ばされる頻度がかなり高いということが判明しています(ですから、サプリや学びエイド含め、Webサービス畑ではおしなべて演技的パフォーマンスは省かれています)。

 そして、前回も述べた通り、パフォーマンスを重視した講義は、そもそも論として「虚飾的」です。
 高い料金でボッタくる予備校であれば、むしろ「一部の熱烈なファン」を獲得することが重要で、そこから「狭くとも深く」、ガッツリお金を取れるので高い収益性が確保できます。しかし、無料Web講義では、「そもそもゲームのルールが違う」のです。そんな狂信的ファンを小数獲得したところで、彼らは直接的にお金を落とさないのですから。

 「パフォーマンスが足りない」などという批判をする人は、おそらく「現役予備校講師」である可能性も高いと思います。彼らは「そんなんでお金を取れると思うなよ」と直感的に思うから、そう批判するのでしょうが、Web畑から言わせれば「ガラパゴス的な旧いルールと価値観に基づいて、評価される」ということ自体が、お門違いであるわけです。
 遠い将来には状況が変わるかもしれませんが、当座の無料Web講義の優先課題として、演技的パフォーマンスなど求められていないのです。
 
(3)行間を埋められていない!?
 「行間を埋める」ということは、良い講義をする上で極めて重要なことです。

 書籍教材は、紙面の都合上、行間はかなり省かれています。普通に読み進めていくと、「は?なんで?全然つながらないんだけど」と思わせる箇所が山ほど出てきます。それこそ、例えば歴史の教科書なんかは酷いものです。参考書は、教科書よりは詳細に書かれていますが、それでも限界があります。
 事実Aと事実Bを学ぶとき、しばしば教科書は「Aである。次にBである」というくらいしか記載がありません。それを「Aは、こうこうこういう理由と論理でもってBにつながる」ということを説明してあげられるのが「わかりやすい講義」であるわけです。

 言い方を変えると、行間をきちんと丁寧に埋めることができていれば、「マニアックな内容を扱わないし、パフォーマンスもないが、間違いなく‛わかりやすい’講義」になります。
 だから、ちょっと講義を聴いてみて、「わかりやすいな」と感じたら、その講義は行間を埋めている(少なくともあなたにとって満足できる程度に)講義なのだと自動的に判断できます。

 たしかにこれができていない講義は、いくら無料であっても「わかりにくい」わけなので、価値としては高いとは言えません。
 ちなみに私個人の話をすると、「わかりにくい」というレビューをいまだかつて受けたことがないので、行間は埋められているのだと思います(前回、「行間を埋め尽くしている」と表現したくらいですから)。
 ただ、一般論として「わかりにくい」と感じる講義は、そもそも見向きもされないでしょうし、何の価値も生み出せないでしょうから、ハナから論じる意味がありません。批判者達だって、そのようなコンテンツは眼中にないはずです(あなたは何と闘っているの?という話になります)。

 ただ、行間を埋められていない、真の意味で「参考書読み上げ」型講義があったとして、その価値は確かに高いとは言えないわけですが、まったく無価値なのかと言えばそうでもありません。
 それを最後にみてみましょう。これこそが、純粋な意味での「参考書読み上げ」型講義の是非を問う議論です。

(4)自力で参考書を読むのと変わらない!?
 ホントーに「参考書を読み聞かせるだけ」の講義が存在したと仮定しましょう。
 これ、実は結構効果あると思いますよ?バカにするのは早いです。

 私は、元生粋の受験戦士ですし、医学書だって死ぬほど読んできたからよくわかるのですが(いわゆるカリスマ予備校講師なんて、大概私よりまともに受験勉強したことがない人達ですからね・・・)、「文字を読んできちんと理解する」っていうことは、結構辛くて難しい作業なんですよ。

 本(文字)を読むことが楽な作業なんだったら、電車の中でスマホゲーじゃなくて読書する人がもっといてもおかしくないですよね(笑)。普通の小説より漫画のほうが圧倒的にファンが多いのも同じ理由です。根本的に「文字を読む」という作業は苦行なのです。全くもって、耳から聴いたほうが楽なんですよ。
 例えば、オーディオブックってありますね。普通の本はなかなか読むのがキツいという人でも、音声で読み上げてくれれば楽しむことができる。あれは、まさにその問題に対する解決策です。

 私は「この講義はわかりやすいし、しっかり正しいことを説明しているので、成績はもちろん上がるだろう。しかし、自力で参考書を読むのと変わらない」という評価されたことがあります(これはユーザーさんによってではないのですが)。
 上記を踏まえたら、「そんなことはない」ということがわかるはずです。
 確かに、到達先の実力レベルという結果は「変わらない」でしょう。でも、同じ到達点に至るまでのコスト(時間と労力)が圧倒的に低いのです。それは、それ単独でも、ものすごく価値のあることですよね?
 「自力で参考書を読む」のと「変わる」点として、マニアックさだのパフォーマンスだのを持ち出すから、業界全体が虚飾的となり、大義を失うのです。「声で聞かせている」時点で、とっくに「自力で読め」とは決定的に異なる価値が生じています。

 皆さんはこんな思考実験をしてみたことがあるでしょうか。

 「カリスマ講師による授業」vs「新垣結衣(例)の参考書読み聞かせ」
・・・どちらが生徒の成績を上げる効果があるでしょうか?
※新垣結衣は、男子高校生に一番響きそうな例として挙げてみましたが、なんでもいいです。あなたが一番素敵だと思う憧れの人を当てはめてみてください。

 これをガチンコで比較した研究はいままでないと思いますが(やったら、イグノーベル賞取れるかも笑)、結構いい勝負になると思いますよ。

 「参考書読み上げ」型講義を真に価値あるものとするには、「新垣結衣」のような魅力的なナレーターが必要なのかもしれないし、きちんとした網羅的なコンテンツを用意することが必要かもしれません。他にも工夫がいくつか必要だと思います。
 しかし、それは論点が別であって、いずれにせよ「参考書読み上げ」型講義それ自体には何の非もないということ、「参考書読んでるだけじゃん」という批判がいかに的外れなものであるかということがおわかりいただけると思います。

 Webを活用した新世代事業というものは、「旧業界で当然とされている前提」から外れた価値の出し方に挑戦しようとしています。批判するなら批判するで、きちんと正しい焦点を見出してもらいたいものです。


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2017年07月15日

「参考書コピー型講義」論1

 MANAVIEの知名度も徐々に増して参りました。ここいらで、数年も前からずっと気になっていたというか、一度ちゃんと述べておこうと思っていたことがありますので、今回はそれについて扱おうと思います👊
 これは、Webサービスで提供していく動画の性質を考える上でも、結構重要な視座になりますので🚩

 それは、ときおり掲示板界隈で見受けられる、
板書が、参考書の丸写し
解説が、参考書を読みあげているだけ
といった類の、学習動画に対する批評についてです。

 「カリスマ」だとか「神」だとかいったキャッチフレーズを前面に押し出すタイプの講師に対しては、それはそれでまた全く別種のアンチが沸くものです。
 一方で、無料系学習動画を出している講師に対して、中でも割と未熟な講師に対しては、上記のような批判がしばしばなされます。かくいう私自身も、数は少ないですが、同じような評価をされているのを見かけたことがあります(*_*)
 こういう「(自称)批評家」さんは、画面の向こうではドヤ顔しているのかもしれませんが、残念ながら、この批評は何重にも間違っているんですね。
 そんな浅薄なことを言っちゃう時点で、「自分はまともに勉強をしたことがない」と露呈しているようなものなんですよ💨

 まず、とりあえず私個人のことに関して言及すると、私は「わざと」そういう淡々としたスタイルを採用しています。
 私は根本的に「カリスマ」だとか「神」といった属性のプレゼンテーションは虚飾的なものであるという立場をとっていますから、自分自身が、いわゆる「バブル期の予備校的」な、演技的スタイルを採用する道理がありません。本当は、演技的なスタイルで講義をやろうと思ったら、いくらでもできます(私に会ったことのある人なら、「まぁ、彼ならできるだろうな」と思ってくれるはずです)。
 虚飾的な色味が強かった既存の予備校の手法のアンチテーゼとして、「そうではないやり方」で、本当の(genuineな)学習の価値を生み出そうと模索しているのですから、それをお見知りおきください。
 それに、普段医師をしている人間が、ネット上でコテコテに演出的な講義をやっているとしたら、それはそれでちょっと気持ち悪い話ですよ。


 また、各論的な話をすると、私の講義を「参考書の丸写し、読み上げてるだけ」と本当に思っているのなら、自分自身の認識力(視聴力と理解力)を疑ったほうがいいです。
 世の中の多くの人が、「自分の認識力は100%正しい」ということを盲目的に信じて、それに基づいた判断をするわけですが、それ、かなり間違ってますのでね。政治家でも「間違った認識」に基づいているのに、本人的には絶対に正しいと信じ込んで、一方通行の主張をする痛い人がたくさんいますよね⤵
 古代の人々が「地球は平らだし、回っているわけがない」としか認識できなかったのと同様に、彼は「講義の質」を正しく判断するに足る認識力を、そもそも欠いているわけです(そんな彼でも「ポスト真実」をバラまけるというのが、現代ネット社会の負の側面です)。

 私の講義内における記載文章は、「何言っているかよくわからない」としばしば感じさせる普通の参考書の文章より、遥かに理解しやすいように書かれているはずです(私は、相手が小学生だったとしても、なんとか理解可能であるように文章を作るように心がけていますからね)。ボーカロイドにでも読ませて、聞き比べでもしてみてください。全然違うことに気が付くはずです。
 そして、口頭の解説に関しては、「めちゃくちゃ行間が埋まっている」はずですよ。というか、高校範囲に限っては、もはや行間なぞ存在しないくらいに、解説し尽しています(笑)。
 「読み上げているだけ」と感じるとしたら、それは前述の通り脳が詳説を認識できていないか、ないしは、「あまりにも解説が自然に織り込まれているため、参考書に最初から書いてあったかのように錯覚する」ということでしょう。後者なら私としては名誉なことですがね。


 さて、ここまでは、あくまで私個人の話でしたが、話を一般化します⤴
 百歩譲って、とある(無料の)動画講義が、本当に「参考書を読み上げるだけ」のものだったとしましょう。確かにそういう講義も存在します。

「で、それの何が悪いのでしょうか?」

 勉強・学習の原理、物事の道理を大上段に振りかざして考察を進めた場合(むしろ、そうすればそうするほど)、「参考書を読み上げるだけ」の講義それ自体には、何の罪も問題もありませんよ👀
 安直な批評家は、おそらく「何がいけないのか」の正当な論拠を持ちあわせていないはずです。

 ・・・少し長くなりました。「なぜ、参考書を読み上げるだけの講義であったとしても、何の問題もないか」について、続きは次回述べたいと思います。


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2017年07月01日

開成学園について17

 ものすごく久しぶりに開成学園について書きます(笑)。
 実はこの話、元原稿としては出来上がっていて、「進学校性とは何か」という観点からまとめ直して、「MANAVIE」紹介本の一つの章にしたいと思っているんですけどね👣

 「顔合わせ」を象徴とする一連の運動会行事からは、開成学園が伝統的に培ってきた「バンカラ校風」を見て取ることができます。「バンカラ」とは、ハイカラのアンチテーゼとして生まれた概念で、言動などが粗野で野蛮なことを指します。その一方で、チャラチャラせず硬派で、仁義に篤いという面も持ち合わせています。
 開成学園は「質実剛健」という教育理念を掲げています。これは、「外見を飾ることなく内面が充実していて、たくましく揺るぎようがない様子」を表す言葉です。おそらく、これが学生側によって適宜都合よく拡大解釈されながら、そして純粋に運動会での競い合いに燃える気持ち等と融合しながら、バンカラ精神を形作ってきたのだと考えられます。

 ここまでは「顔合わせ」という凶暴な行事について紹介しましたが、現在では理不尽に罵声を浴びせかけるといった形式にはなっていません。もちろん「ニコニコ和やかに」とまではいきませんが、厳粛にやる程度です。
 保護者からのクレームの問題もありましたし、そもそも「中1を理不尽に虐めて、高3が楽しむ」といった方向性に暴走してしまう傾向があるという問題も抱えていました。これらを背景に、今の時代にあって、脅迫・恫喝的なスタイルは廃れてしまいました。バンカラ校風自体、運動会期間中にチラッと顔をみせる程度で、普段の学園生活ではほとんど認められません。
そうすると、開成の「運動会」はいずれ単なる普通の「体育祭」になってしまう運命なのかということが疑問として浮かんできます。
 少なくとも「バンカラ色」については薄まっていく傾向であることは間違いないと思いますが、一方で、今後も残っていくであろう特色が、実はもう一つあります。

 それは「自治性」です🚩

 開成学園の運動会の運営に関して、教員が介入することはほとんどありません
 最上級生である高3による下級生への競技指導はもちろんのこと、運営委員会や競技の審判団、そしてパンフレット作りや、アーチと呼ばれる巨大壁画の作成など、ほぼすべての事柄が学生自らの手によって実行されます。
 高3は、一つ下の学年である高2に直接引き継ぎを行い、組織運営のノウハウが受け継がれていきます。会議におけるいかなる意思決定や役職選挙においても、学生がよっぽど路線を逸脱しない限り、教員が口出しすることはないのです。
 当然、年代や組によって、自治の質が高い場合も低い場合もあります。客観的にみて酷い運営(仲間割れなど)が、ときどき存在することも確かです。しかし、その結果がどんなものであれ、「それは自分達が生み出したものであり、自分達が責任をもつ」という前提の下で、非常に高度な自治性が実現されているのです👀

 既に、脅迫・恫喝的な顔合わせはマイルドになったということを述べましたが、実は、この変化自体も、そもそも学生の自治から生まれたものなのです💡
 2000年度の責任代である高3から「こんな顔合わせはよくない。変えよう」という運動がおこり、正式な手続きを持って大幅に「顔合わせのやり方」の指針が改訂されたのです。もちろん激しい抵抗もあったわけですが、民主的な議論の末に、理不尽さや個人攻撃、竹刀などによる威嚇などの過度な暴力性が排除された、現在の顔合わせの原型が生まれました。
 他にも、2013年度の事件も有名です。運動会の前々日に、「運動会を中止しなければ生徒に危害を及ぼす」という脅迫状が届けられたのです。
 その際の対応においても、教員は最終的な判断を生徒の運営学年に委ねました。彼らは、例年通り盛大にやりたい気持ちを抑え、「残念だが、一般公開は諦め、保護者のみ入場可能にする。さらに徹底した警備体制をしき、後輩たちを守る」という判断を下したのです。彼らは、わずか2日間で、部外者を校内に侵入させない仕組みを整え、運動会は無事に実行されました。
 上記以外にも、長い歴史の中で、開成の運動会は難局を迎えた経験が数多くあります。その度に、それを学生の自治により乗り越えてきたのです👊

 開成学園は、平素は「あまりに自由な無法地帯」でありますが、少なくとも運動会を見る限り「やるときはやる」というバックボーンを見てとることができます
 教員側も、最後の最後ではその「自治性」を信じているからこそ、普段の学校生活が乱れているように見えても、口うるさく指導をしないのです✋


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2016年03月05日

不完全フリーWEB教育!?

 もう少し、フリーWEB教育について話します。
 私は、生物や英語の準拠教材をどうして現状、完全無料ではなく廉価ながらも有料で販売しているのでしょう?
 「お金を儲けたいからでしょ」と思っている人がいるかもしれませんが、それは全然違うんですね。真面目な話、こんなもの正直全く儲かっていませんよ(*_*)お金だけ欲しいのであれば、医者としてアルバイトでもしたほうが比較にならないくらい効率がいいです💦
 そもそも、私はデジタルコンテンツはフリー化するという考えの持ち主ですから、紙書籍はともかく、教材のデジタルデータ自体も、最終的にいつかは無料にせざるを得ないだろうという意識すら持っているのです。
 では、なぜとりあえず今のところは有料で供給してるのかと言うと、それはどちらかというと「ブレーキをかけている(自重している)」という意味合いが大きいのです🚥

 私が生物や英語の教材(完全版)を、無料でリリースすることは簡単にできます。今、この瞬間にポチっと無料に設定すればできてしまうことです。生物・英語のみならず、もっと大きな‘フリー爆弾’を投下することも、数年内には可能になるかもしれません。
 そして、それによる経済的損害は、私自身はほとんど被らないですが、学習参考書界には割と大きなダメージが行くでしょう。生物なんて、もともと市場が小さいですから、インプット系の教材はまったく売れなくなる可能性すらあります。
 「それがいいことなのか?」を思索したとき、少なくともすぐには否であるというのが現状の判断なのです。それは、単純にたくさんの大人を泣かすためだけの、無秩序な行為であって、私はあまりそういうことを望んでいません👣

 ただし、「状況が適合しさえするのであれば、無料でリリースする準備はいつでもできている」という点がミソです。悪意のあるサービスや敵対的・挑発的にしかけてくるサービスがもし出現した場合には、それに対する対応の選択肢が常に留保されているということであり、それが手綱を握っているという意味なのです。
 だからこそ、ほとんどペイに合わない時間の使い方をしてでも、最初のパイを積極的に取りにいく価値があると考えているわけです👊
 私がこの活動しているモチベーションを少し掴んでいただけましたかね!?


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2016年02月27日

フリーWEB教育界の手綱

 ところで、私は「プロに比肩するすごいアマチュア」として、WEB教育界にしゃしゃり出ようとしているのか?・・・と思われる方がいるかもしれませんが、これはちょっと違います💨
 私は、「無料だから教育格差が是正される」という点についての効用は認めますが、私自身がそれにこだわっているわけではありません。というか、報酬としてお金がもらえるならそのほうがよいに決まっています。そういう崇高な理念至上主義的に今の活動に励んでいるわけではないのです。

 じゃあ、どうしてやるのか?
 私は、ビジネス的な嗅覚として、前回お話した通り「WEB教育は必ずフリーに近づく」と考えています。これは、私の目標でもなんでもないですが、絶対的な事実がそこにあるという捉え方をしています。
 すると、逆説的に「最初のパイは、(取る力を有しているのであれば)積極的に取っておかなければならない」という判断に行き着くのです🚩

 この世のどこかには、私のことを恨んでいる教育業界の人がいるかもしれませんが(笑)、私がやらなかったら、別の誰かが絶対に同様のコンテンツを繰り出してくるというだけの話なのです。
 実際、小学生〜中学生範囲の初級レベルのコンテンツに関しては葉一氏の供給力は凄まじく、高校レベルの世界史・日本史といえば、Historia Mundi氏の右に出る者はいません。物理や化学、数学あたりも有力な講師が既に存在しています。「必ず、誰かがやる」のです💣
 私は生物に関しては、自分のブランド化も意識しつつ「好きでやった」という側面が大きいのですが、その後に英語に手を出したのは、上記のような判断が働いたことが大きいのです。そして、WEB教育に関していえば、今後もそのような観点に立って動いていくでしょう。

 そして、最初のパイをとると、その業界の行く末を、ある程度規定することができます。これは、独裁的な支配者というような意味で言っているのではなく、良い方向に向かうように手綱を調整する権利を持てるということです👊
 自分でいうのもなんですが、私は「悪い人」ではなく、非常に良心的な人間である自負があります。
 全体の行く末の手綱を握るものは、無秩序を望む破壊者ではなく、良識的な判断を働かせられる良心的な人間であるほうがよいので(そうでないと多くの人が不幸になるからです)、「変なヤツにやられる前にやる」のがベストの選択となるのです。


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