さて、「お受験で進学校に入れないことぐらいで人生が詰むはずがない」という話を、もう一歩進めて本質的に考えてみます👊
私は、Web講師も務めているくらい、生物学が好きで得意科目です。生物学の中には「生態系」と、その保全の重要性を研究する領域があります。
「生態系」とは、生物の集まりと、それを取り巻く環境の全てを合わせた概念を表す生物学用語です。
生態系は様々なサービス(恩恵)を私達に与えてくれます。
例えば、エネルギー資源や衣食住の環境、精神文化面での効果といったものが挙げられます。「生物」である私達自身が生態系の一部を構成する要素なのですから、私自身が豊かさを保つためには、前提としてその基盤にある生態系そのものが繁栄しなければなりません。だから、「環境を大切にしましょう」、「生態系を保全しましょう」というキャンペーンが張られるのです。短期的な快楽のために生態系をどんどん破壊していけば、結果的に世界が滅びるのと一緒に人類が滅びてしまいます💦
この生態系の保全のためには、「多様性」が一つのキーワードになります。この世の中のあらゆる生物・物質は、「食物連鎖」という関係に代表されるような生物種間の関係や、生物種内の関係、生物と物質との関係を「網の目」のように構築しながら存在しています。
この生態系に多様性があればあるほど、言い方を変えれば、「網の目」が複雑であればあるほど、その生態系は安定性が高くなります。多様な生物が複雑に絡み合った生態系では、何らかのトラブルが生じて一か所にキズが生じたとしても、生態系としてそれを修復するメカニズムが働くのです。
しかし、生物種が限られていたり、環境に制限があったりする単純な生態系では、ちょっとした変化が原因でも生物の絶滅は容易におこり、それが連鎖して生態系そのものが滅びやすいという特徴があるのです💣
さて、本来のテーマである「教育」に話を戻しましょう。
こうした、「生態系の多様性」は、教育とか学歴といった領域においても、大切なものであるということがすぐにわかるはずです💡
皆が皆「よい塾・予備校に通い、一流の私立進学校に入り、一流の大学を目指す」ということしか選択肢を持たず、この流れがパス化して画一的になればなるほど、他の選択肢が萎んでいけば萎んでいくほど、社会全体として「優れた人材」を生み出すための足腰は弱っていくのです🚩
かつての中国(隋〜清の時代)には、「科挙」という極めて優れた、官僚登用試験の制度がありました。優秀な人物を広く全国から集めるために試験制度を設置し、その結果がよければ身分に関係なく官僚になれるという制度です。現代では、こんな公平性など当たり前のように感じるかもしれませんが、それ以前の時代には、国家上層部に仕える人材は、貴族などの権力者階級からしか推薦採用されないということが当たり前だったので、科挙は、世界的にも画期的な制度だったのです。広大な中国全土から、公平な仕組みで募ったのですから、その合格者達はまぎれもなく優秀だったに違いないでしょう。
では、隋、唐にはじまり清にいたるまで、どうしていずれの王朝も滅んでしまったのでしょうか?秀才中の秀才が国家を支えてきたはずだというのに、滑稽な話です。
これは、科挙という一律的な仕組みが、教育生態系の単調さをもたらしたことが間違いなく一つの要因です。「箱庭ゲーム」の中で優秀な人間を選別しても、その人材の能力が似たようなもの同士でしかない限り、時代が変わったり取り巻く情勢が変わったりすれば、簡単に対応できなくなり、「絶滅」するのです💥
お受験を基軸とする学歴の単線化が進む一方の日本は、はたして中国の科挙を笑える立場にいるでしょうか⁉
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